「乳の渡り」の思い出 作:マリーナ号さん


元日の朝、海岸に出て”乳の渡り”を見るなどという風習は、さすがにもう廃れて
しまって、私のような老人の、幼き記憶の片隅にかすかに眠り、ただ忘却の時を待
つだけの昔語りと成り果ててしまっているが、2次大戦前には、私の土地では盛ん
に行われていたものである。
私が父に連れられて初めて乳の渡りを見たのは、尋常小学校に入学した年の正月で
あったと記憶している。
その頃、私の街の海岸は、今のように整備された親水公園など考えもよらない、た
だコンクリートを国道沿いに荒く打ちっぱなしただけの防波堤が、海に向かって無
造作に続くばかり、きわめて味わいのない風景が展開されているばかりだった。
何事が起こるのかも知らされぬまま、眠い目をこすりつつ父に手を引かれて元旦、
早朝の海岸に出た私は、防波堤沿いに並び、何ごとかの期待を込めて海に視線を送
る人々の多さに、意外な印象を受けたものだ。正月の海岸とはいえ、初日の出見物
には、すでに陽は上がってしまっている。こんなにもたくさんの人たちが、何を求
めて、この海岸に集まっているのか。さらに人々は、よく見れば大人の男たちばか
りであり、どうもコドモである自分には、あまり面白い事が起こりそうにもない予
感がする。早朝の海岸は冷たい風が吹き付けて来もし、その時の私は早く家に帰り
たい気持ちで一杯だったのだ。
と、人々の間でどよめきが起こった。
「渡りだ」「乳が渡るよ」「おお、今年は何と立派な乳ばかりが」
人々の声に顔を上げた私は、鉛色の冬の海から続々と、一抱えもある乳房が飛び出
し、そのまま宙に浮かぶのを見たのである。乳はどれも一対の白い巨大なボールの
ように見えた。どれにも桜色の乳首がついていて、なんらかの海棲生物とは思えな
かった。人間の女性の胸の上にある乳房、あれの巨大化したものにしか見えなかっ
たのである。おそらくその際、数十対の乳が、海から生まれ出たのではあるまいか
それら”乳”の群れがどのような原理で海から生まれ出、そして空に浮かぶのか、
いやそもそも、それら乳はなんなのであるか?私には見当もつかなかった。ただ、
あまりに意外な風景に、唖然として、出来事の一切を見守るばかり。
乳の群れはひとしきり海上を飛びまわった後、何をきっかけにか、一斉に沖を目指
して飛び去り、すぐに姿は見えなくなった。
「今年の渡りは」「ともあれ、これでようやく年も明けて」「でめとうござんす」
男たちは口々に言い交わしながら、海岸を後にする。父も私の手を引き、防波堤を
離れんとし、ふと私の顔を覗き込んで、「こいつを見に来たのは、母さんには内緒
だぞ」と囁いた。その父の目に、なにか言いようのない淫蕩な表情が浮かんでいる
事に怯え、私はただ黙って頷くだけだった。
あれから成人するまで、何度かの”乳の渡り”を、私は見送った。あれら乳の正体
が何であるのか、土地の古老に尋ねても言葉を濁すばかりだったし、文献をあたっ
ても、何も分かる事はなかった。ただ「そういうものなのだ」と、不可解と思いつ
つも納得するよりなかったのだ。
時は流れ、乳の渡りの目撃体験を持つ者さえ、もうほとんど残ってはいまい。いや
むしろ、あれらすべては幻影だったのだ、と言う形で納得してしまう方が、老残の
身の、安らかな余生のありようか?などとも思う今日この頃なのである。